シンガポールの金属プレス業の方々は、1980年の時点では工業団地の雑居ビルのようなところで中小金属加工企業が多数仕事をしていました。
 
香港などでもこのような雑居ビルの中に数十社のプレス業者が稼働していました。
 
日系プレス業の方々もまだ数十人規模の中小企業が多く、大阪に本社が有る家電メーカーの部品製作の為に関西出身のプレス業者、音響機器・時計・PCメーカーなどの部品を製造している山梨県・長野県のプレス業者などが多く操業していました。
 
その他半導体部品メーカーが多少。
 
さらに、金型材料販売会社、日系熱処理業者も稼働開始したばかりでした。
 
日系鉄鋼メーカー及び日系商社のコイルセンター、ステンレス鋼メーカーのコイルセンター、ドイツ系、中国系のコイルセンターなどが林立していました。
 
1990年以前はインドの鉄鋼業は国営のみで自由化されていませんでした。
 
その為インドの企業の方がシンガポールに買い付けに来ていました。
 
シンガポールは英語が通じ政府も海外からの進出企業に対するサービスが手厚く、日本金業が進出しやすい環境にありました。
 
英語がまだ上手に話せなかった私たちに、とても親切に役所・銀行その他の手続き関係=工場借地、銀行口座開設、電気、ガス、水道の契約、労働ビザの更新、自動車免許証の取得などなど自分たちで行ったのですが、懇切丁寧に書類の書き方、申請の仕方を教えてくれました。
 
有る時、我われが一生懸命へたな英語で喋るのに合わせてゆっくり分かりやすく英語で説明してくれている役所窓口の女性がいました。
 
次の順番の日本人が最初から日本語で話しかけたらその女性も日本語で説明していました。
 
私は複雑な気分で立ち去りました。
 
たぶんその女性は我われに恥をかかせないよう英語で対応してくれたのでしょう。
 
つづく。いつも(人''▽`)ありがとうございます☆
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