
私が住んでいたシンガポールは世界の為替市場、金融取引、石油取引、港湾荷物の取り扱いなどが盛んでしたが、1990年代まではシンガポールでも製造業が盛んでGDPの30%以上を占めていました。
その頃のシンガポール・マレーシアは、日系企業とスイス・ドイツ・アメリカ・ベルギー・フランスなどの欧米企業が進出していました。
いずれも安価な労働力を求めることと日本・中国などの巨大マーケットに近いところで生産することが目的だったと思います。
さらにシンガポールは英語が共用語の一つで外国人の労働者の会話が全て英語で通じます。
日本の大手家電メーカーが最も早くから進出しており1980年代から家電の製造を始め、1989年の時点で12社に及ぶ運営していました。
白物家電が主体で日本国内向けよりも海外向けの製品が主力でした。
ただし日系企業のシンガポール進出は1960年代の造船業の方々が戦後最も早い進出だったと言えるでしょう。
これは前述の赤道が近いシンガポールの海の満ち引きが無く波の無い安定し水位が一00年中継続している地形を利用すると船のドックに絶好のロケーションです。
戦争中にイギリス軍も日本軍も戦艦のメンテナンス基地として重要拠点でした、I工業、H造船などの企業の方々が早期に進出していました。
一方マレーシア・ペナン周辺には日米の半導体製造会社が複数進出していました。
ペナンではドイツの医療機器メーカーであるB社が注射器を製造していました。
因みに現在当たり前のように使われている都度消毒の必要のない使い捨て=ディスポーザブル注射器は1960年台から製造販売され、戦争やエイズの問題などに触発され、現在では再利用すること無く世界中で“ディスポーザブル注射器”が使用されています。
米国のB社、ドイツのB社、日本のT社、N社などが世界の主要なメーカーです。
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